他力本願で行こう。
時折、ふとなにかをきっかけにして
自分の過去世を思い出すことが、たびたびあります。
おそらく、それに関連しているとは思っていましたが、
私がずっと持っていた異様なまでの『宗教』に対する
抵抗感について、今日ちょっとした動きがありました。
私の母は昔から神参りや神頼みが大好きで、父と一緒に
自営の仕事をしていた時期はお店を閉めてから夜な夜な
近くのお寺さんに通ってはお百度踏んだり。
80歳を過ぎて悠々自適でも良いはずの今も、朝早くから
近所の氏神様にせっせと足を運んでは家族の健康や、
なかなか解決しない悩み事を、どうかどうかとお願いする姿を
私は幼い頃からずっと見てきました。
そんな母をここ数年、とても嫌な気持ちで見たり、
話を聞いている自分に気づきました。
今日ふと「宗教と神様は違うもの」というイメージが降りてきました。
ああそうかと。
なんだか解けそうな予感です^^
なのでそこに向き合ってみました。
母のその姿のなにがそんなに嫌だったのか。
他力本願的な感じが嫌だった。
誰かにすがる感じが嫌だった。
依存しているようで嫌だった。
盲目的な感じが嫌だった。
排他的な感じがして嫌だった。
自分(の意思)がない感じが嫌だった。
オオオ、でてくるでてくる 笑
さらにもっと深めます
それらがどう嫌だったのか。
自分ではなにもできない人に思えて嫌。
弱そうな人間に思えて嫌。
自分一人ではなにもできない、信用されない
ダメな人のような感じがする。。。。
意思がない人は信用されない、好かれない、誰も話を聞いてくれない
・・・・・・ハッ!
私は長いこと、弱い人はダメな人。
弱い人=誰からも信用されない人、好かれない人
という思い込みがあったようです。
ここを今、まるごと受け入れていきます
弱くてもいい
依存してもいい
頼っていい
盲目的でもいい
すがってもいい
意思がなくてもいい
他人の意見を聞かなくていい(取り入れなくていい)
おおおお
なんとも新鮮な価値観!笑
視界が変わりました。
そう、他力本願でよかったのです✴︎
たりきほんがん?
またまたふと、他力本願という言葉に引っかかりました。
他力本願の意味って本当はどうなの?という
ちょっとした違和感が湧きましたので調べて見ましたよ。
そしたらなんと、、
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『他力』というのは『他人のちから』ではなく『仏のちから』
〝他力本願〟というのは、思いどおりにならない人生に対してじたばたせず
自分が自分がという自己中心的な考えを捨てて
自分の仏のはたらきにまかせて生きることを意味する
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、、、びつくり。
自分=全体意識
先日受けたインテグレイテッド心理学がチラつきます 笑
やっぱりここなのかー。
自分=全体意識=神仏(カミホトケ!)=宇宙
にもつながりました。
なんもかも、自分の仏(神様)にまかせればいいので
絶対になくっちゃだめ!人としてだめ!と思い込んでいた
『意思』というのも、もしかしたら不要なのかもしれません。
ここに今日たどり着けたのも
わたしは宗教がニガテ!と初めて公にしたことで
その後なんとなく自分の中でなにかがほどけた感覚があり、
そして今日のこの分解作業につながりました。
なんだか今目の前に、おおきな道が広がって見えています。
ああでもまだなんか、、、、重いしこりがあるなぁ 笑
まだまだ思考レベルで、感情を感じきってないんだなぁ
でも今日はここまで。無理はしません。
喜んで、
内なる神仏に信頼して、
他力本願で参りまぁ〜す。
いつもありがとうございます
by amrita-shop | 2016-08-18 17:28 | スピリチュアル