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カテゴリ:RFT/TMV( 2 )

自分に寄り添うということ

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年末年始は実家で過ごした。

しゃもじ(夫)は新潟の実家へ。

久しぶりに、別々に過ごす年末年始。


昨年5月に父(じいさん)が亡くなり、

それ以降、母ぽんこの憔悴&落胆が半端なく(笑)。

寂しがって寂しがって、手がつけられません(笑)。


戸建として立ち並んでいる隣には、姉一家が住んでいるのに、

介護士の孫も気にかけてくれているのに、

様子を見に来てくれるお友達もいるのに、

私たち夫婦も頻繁に顔を出しているのに、

「足りない」らしいです。(笑)

きっと、自分が求めているものではないのでしょうね。





いつ何時もそばにいた人が亡くなってしまうと、

人生を共にした50数年という歳月は

ぐんと輝きを増すようで、

娘としてはさんざんっぱら喧嘩の仲裁をしてきたにも関わらず、

それもほとんどネガティブな記憶としても、

h事実)実際にあったことも、

ぽんこの脳味噌にはもう残っていないらしく、

毎日メソメソしては、

「じいちゃんおはよう、じいちゃんおやすみ、じいちゃんあのね、」と

おりんをチンチンじゃんじゃん鳴らしながら、

仏壇の遺影に話しかけています。



長年連れ添った伴侶を亡くす、ということの悲しみや喪失感は

きっと、娘の私の想像を超えて、

本人にしかわからないことでしょう。



膨大な悲しみという感情も、立派な〝エネルギー〟です。

嬉しい、や楽しい、と同じエネルギーなので、

もう全身全霊で、感じ切っていくしかありません。

自分自身で。

(感じきると、流れだします^^)



つらいひとに寄り添うことはできても、

そのぽっかり空いた穴を、

なにかで、誰かで完全に埋めることはできないから。



母は、「なんでもっと◯◯してくれないの!?」

「私は誰より悲しんでるんだからもっと◯◯◯してくれてもいいんじゃない!?」

「普通こういうときは、◯◯◯っていうに決まってるじゃない!?」


と、超無意識のゾーンで思い込んだ理由を盾にし、

私たち家族にその穴埋めを求めてきますが(笑)、

求められるたびに、

まるでその言葉たちは姿を変えて私に、

「努力が足りない」言っているようで、

(これがわたしの投影)

猛烈な怒りと、理解されない悲しみという感情に襲われ、

それを感じたくなくて

ついついあれこれきつい言葉を投げかけてしまいます。



その度に、ああ、ぽんこは

そんな厳しい言葉やアドバイスは求めてないのに、

ただ、悲しいね、そうなんだね、と自分の気持ちに寄り添い、

受容して欲しいだけなのにと、

わかっているのにできないことに、

イライラし、

ひとりになると、ずーーんと落ち込む日々(笑)。




んーーー。自分無理っす!
できないっす(笑)


まずはこれ以上頑張らないように、開き直ってしまおう。

ここからが大事です。


長年密接すぎて、投影の濃すぎる家族に、他人様のように

できるだけまっさらな状態で寄り添うなんて

まじ無理っす(笑)

できないっす(笑)

少なくとも、私はまだまだ、母へのわだかまりがあるので

できません。(笑)(きっぱり!)


そんなときは、セルフセラピー、必殺RFTの出番。


道具も広い場所も必要なく、どこででもできるけれど、

ますはひとりの静かな空間を確保。

私の場合、あったか〜いお風呂につかりながら、が最適。


鎖骨下や手首の内側を軽く指先でトントンしながら


ぽんこに優しくできない、

したくない!

こんなに気を使ってるのに、

みんなも気を使ってるのに!!

いつまでやればいいの!!

どこまでやれば満足してくれるの!!

納得してくれるの!!

私たち姉妹を自由にしてくれるの!!!


この怒り、この悲しみ、などの、

自分自身から湧き上がった思いや

そこにくっついている感情に寄り添い、


そのまま、ジャッジすることなく、励ますことなく

ただただそのまま受容していきます。



ぽんこにやさしくできないって思ってるんだね、

やさしくしたくないんだね、

そうなんだね、

やさしくできなくていいよ、

やさしくできなくて当然だよ、

それでいい、

それでいいよ、

その思い、ずっと持ってていてよ

そこにいていいよ、

そこにいたこと、今わかったよ、

ずっとずっとそこにいてもいいよ、


・・・・・・




こころが苦しいと感じるのは、

自分の中にあるその思いに、抵抗するから。


あってはならないと抵抗するから。

消えて欲しいと抵抗するから。

そんな自分はダメと抵抗するから。

だから苦しみが生まれます。


例え、その思いは消えなくても、

存在したままでも、

それを自分自身がよしとしていれば、

苦しみは生まないのです。



その思い、あってもいいよと、自分自身にやさしく受容されたとき、


長い間消えなかったモヤモヤに

終始付きまとうイライラに

出口を見失った膨大な怒りに

自分自身と同化した悲しみに

地に足のつかない焦りに

この世でひとりのような心細さに

私という存在が消えてしまうかのような恐れに


どんな変化がおこるでしょうか。




この先も、自分の外に、

味方を探してさまようのではなく、

ずっと探し求めていた絶大な味方は

生まれたときから片時も離れず、

「ずうっとそばにいた」

と、

今日のあなたにも体感できますように。












ただいまご参加者、募集中♡↓↓↓









いつもありがとうございます



















by amrita-shop | 2019-01-09 12:16 | RFT/TMV | Comments(0)

RFTというセラピー

セラピーすることによって、身体の痛みが取れる

というセルフワークを、自分のからだを使って

人体実験をしています。


慢性的なものから、突発的なものまで、

気づいたら試してみています。



先日の連休では、実家のこたつでくつろぎ中に

何度も左足裏がつるということがありました。
(座り方を変えてもマッサージしても、ぎゅううっとつる激痛の類です)

たくさん歩いた日など、

水分不足からなるということも知っていたのですが、

その日はいつも以上に水分摂取もしていたので他に心当たりがなく。

何度も何度も同じところをつっては、痛みで大騒ぎしていたところ、

このセラピーを思い出しやってみました。


足裏をつらせる思いのエネルギーはすぐに私の手の上に出てきて、

それに意識を向けてみると

「足蹴にしやがって」とか「踏み台にしやがって」

「利用しやがって」という思いを乗せた、

強烈な怒りの感情を感じ取りました。


いつものようにストーリーがでてきそうでしたが

そこは一切追わず、そのまますべての思いと感情にセラピーをし、

体感では3分〜5分という短い時間で、

出てきた当初はまるーくパンパンだったエネルギーが

手のひらの上で、

気の抜けたビニールボールのようにペナペナになったところで、

そろそろいいかもと感じ、エネルギーに

まだ足りことはあるか、もう終えても大丈夫かを確認したところ、

「今日はこの辺で勘弁してやる」と言って

ぱっと消えたところで、ゆっくりセラピーを終えました。


その後、その日も、これを書いてる数日後の今も

一度もつることはなかったのですが、信じられないので(笑)、

わざとつるような体勢をとったりして

足つりの誘引も試みてみましたが、

やはり今現在まで一度もつっていません。


正直なところ、このセラピーをまだ信じ切れていない
(信じるのを恐れて抵抗している)自分がいるので(笑)、

今後その辺りも含め、

自分の身体を使った人体実験を

さらに続けてみようと思っています。



一番気になる症状は、数十年も慢性化している頭痛です。

なんとなーく、一筋縄ではいかないような気もしていますが(笑)

セラピーし甲斐があるようにも思っています。


慢性的な痛みや不調には、一回のセラピーでは


改善されないことも多いと聞いているので


ここはどっしり構え、気長にやろうと思っています^^



そうそうそう。

このセラピーをする上で、一番大事なことですが、

現れている痛みや不調に対して、

解放や排除の意図を持つのではなく、

そのエネルギーの感覚を感じ、寄り添い、

もしもなにか声を発するとしたら

その声を余すことなく聴き、内容にジャッジすることなく

ひたすら100%の受容をしていく、

ということ。

今私が可能性を感じて取り組んでいるのは、

そういうセラピーです。




そしてセルフセラピー後のオマケ。

足つりがなくなっただけでなく、それまで母の言動にイライラして

きつく当たっている自分に気づいていたのですが(笑)、

それもなんとなく自然に変化していて、

変わらぬ母の同じような話にも(笑)

少し穏やかに聞けている自分に、途中ではっと気付いて

とても面白かったです。



人体実験、続けてみますね(笑)







いつもありがとうございます








by amrita-shop | 2018-12-28 20:31 | RFT/TMV | Comments(0)